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映画評論家という職業は本当に必要なのか?

J.Stone J.Stone

映画と言えば今なお映像芸術として頂点に位置するエンターテイメントであるが、それと同時について回るのが映画評論家である。
しかし、昨今はネット社会、情報化社会である。
誰でも批評家になりうる現代で、そもそも彼らは本当に必要なのか?
今回は、一映画ファンである私の見解を述べようと思う。

映画評論家は本当に必要なのか?

映画と言えば今なお映像芸術として頂点に位置するエンターテイメントであるが、
それと同時について回るのが映画評論家である。

映画評論家の主な仕事と言えば、まんまそのままであるが専ら批評である。
この映画はあーだこーだというのをメディアを通して発信するのが職業である。

しかし、昨今はネット社会、情報化社会である。
気軽に誰でも閲覧でき、且つ誰でも自由に書き込めるネットが普及した現代で、
果たして映画批評家は何をしたらいいのだろうか?
誰でも批評家になりうる現代で、そもそも彼らは本当に必要なのか?

今回は、一映画ファンである私の見解を述べようと思う。

映画批評家は職業じゃない!?

映画評論家と聞いてたいていの人が思い浮かべるのは、
あんなのは職業じゃない!という率直な意見と、
ただ映画の感想や解説なんかをして、上から目線でモノ言ってるだけで
飯を食ってる娯楽の寄生虫…という像だろう。

酷く失礼な言い方をして、評論家の方には申し訳ない。
しかし、恐らくたいていの人は心の中でこう叫んでいるに違いない。
事実、評論家不要論なんていうのも言われるほどだ。

たかが娯楽一つに対し、小難しいことを並べ立て何になるんだ、と。
こっちはただ楽しんでるだけなのに、なんで横から口出ししてくるんだ、と。

だが、私の見解はこうだ。

映画評論家は必要である。

では一体なぜ必要なのか?
順を追って説明したいと思う。

映画評論家はなぜ必要なのか?

映画は単なる娯楽じゃない

ファンにとって映画は単なる娯楽ではない。
アニメファンがアニメに芸術性を、
文学ファンが小説に芸術性を感じるのと同じである。

つまり、芸術作品である映画を批評することは何らおかしいことではない。
映画ファンの中には、映画の知識や見解を掘り下げたくて、
批評を見ている方も当然いると思う。

既に需要と供給は成り立っている。
素人は黙っとれ…である。

映画評論家は火付け役だ!

批判覚悟で発信できる評論家という仕事は、
トレンドを発生させる火付け役として最高ではないだろうか?

映画産業は巨大市場であるが、その売り上げは年々衰退している。
それもそのはず、今やYoutubeなどの動画共有サイトが大普及し、
インデペンデント作品や自主製作作品などが動画サイトで発信、収益を得られる時代となった。

また、巨大市場であったアメリカも、
近年はTVドラマにニーズが移行し、技術の発展によりゲーム産業が映画を飲み込み始めるようになってきた。
TVドラマ一本の製作費は映画一本分であると言われているし、
ゲームに至っては、映画を超える製作費とキャスト、スタッフ数。更にはCG制作を映画向けのCG会社が担う時代となってきている。

前置きは長くなったが、確実に映画は衰退しているし、
特に日本では動員数もディスクの売り上げも全盛期よりも減っている。

そんな中で活躍するのは配給や広報なのだが、それらは最悪ときた。
よくわからん芸能人を呼んだり、映画に対しての予備知識や思い入れもなかったり、
あったにしてもぜんぜん感じなかったりする。
確実にニーズから反れたことをやっているスベリ芸だ。

ここで登場するのが評論家である。
彼らは結局のところ映画ファンでしかないのだが、その純粋に好きな思いは恐ろしい知識量を含んでいる。
一般の方が生涯で見る映画の本数なぞ、せいぜい500本行くか行かないかだろうが、彼らは恐らく2000、3000を有に超えているだろう。
ちなみに私が見た本数は単純計算して1500本ぐらいだと思う。
私の出会った中でこれを超えている人は恐らくせいぜい1人ぐらいだと思う。

つまり、彼らは映画に関しては博識である。
と、同時に彼らはメディアや関係者にも顔が利く業界人である。

ネットの批評家にそれがあるだろうか。
映画監督や俳優本人に話を聞いたり、撮影現場でスタッフから話を聞いたり、体験したり、それができるだろうか?
恐らくできない。

ある批評家が、マッドマックスの初公開時の話をしていた。
「マッドマックスを見た若者が、皆揃って首都高にバイクや車を持ち込んで、いてもたってもいられなくなった…」等という
過去の思い出話を含む映画を通じた体験談と人生を語ってくれる。

私は素直に楽しい。

そんな感情のこもった解説はWikipediaにはないからだ。
私は映画批評が大好きなのだ。

映画を見て、映画批評も見る。
そりゃ、中には賛否両論あるし、否定だってある。
だがそれも映画の楽しみの一つ、多様性の一つではないだろうか。

「この映画を見た人がどんな思いで見たのか」
それを知りたいから人は批評を見るのだろう。

自分がこの映画を本当に理解できたのかとか、
この映画は本当に良いものなのか確認したいとか、
そんなことを見たいのではない。

映画の体験で少し変化したその過程を知りたいから、
映画批評家は需要があるのである。

また、作者自身が、見落としていた部分を
保管してくれる存在としても欠かせないのではないだろうか。

映画評論家はなくてはならない。
映画だけでなく、ほかの分野でもそう。
何かにモノ申したりする人は必ず必要なのである。
惰性の果てにあるのはコンテンツの死ではないだろうか?

問題定義やそういったコメントで、ファンがあーでもないこーでもないと盛り上がれば、
その映画の話題はそう…トレンドになる。
もしかしたらそれを聞いた誰かは、映画を見るかもしれない。

映画批評家の皆様にはこれからも更なるご活躍を期待しております。

映画評論家という未来

とはいっても、映画の知識だけでは限界にきているというのもまた事実なのかもしれない。
もしかしたら、今後そういった職業の方たちに求められるのは新たな批評対象ではないだろうか。
私は、映画評論家はゲーム評論家としても求められる時代が来るのではないかと少なからず思っている。

ゲームは複合芸術として昨今どんどん盛り上がりを見せている。
上記でも書いたように、映画産業とゲーム産業は今や密接にかかわっているのだ。
映像作品をゲーム内で用いることも多い。
形態は違うが同じ土壌であるドラマは既にやられていると思うので今回は省かせてもらったが、
今後は映画とゲームを照らし合わせたり、ゲームの芸術性や作家性の批評なども増えていくのかなと感じる。

今やゲームが映画を超える時代である。
グラフィックはとっくに追いつき、更には映像に参加できる、物語を自分の手で動かせるという
ゲームにしかない魅力も詰まっている。
さらに言えば、VRゲームの登場で、シアターは家庭へと移行するだろう。

今後、映像芸術は何処へ向かっていくのか。
非常に楽しみである。

映画の知識でゲームの批評、私は非常に楽しみにしております。

SNSを使って誰でも感想を述べられる時代に…

Twitterなどを使えば手軽に感想や意見を交換できる時代です。
他の人が感じた事や、見落としていた部分を補完しあったり、発展させたりなどして、
映画をどんどん話題にしていってくれたらうれしいなと思う。
また、ためらわずにどんどん出していっていいと思っている。
一部の狂信的な信者たちには何を言っても小言を言われるのだから。
(面白かったー!と言っただけで”にわか帰れ”等と言われてしまう程なので…)

アニメ映画のヒットは素晴らしく、トレンドも多い。
これが実写映画でもおこれば、こんなに楽しい日はないだろう。

とりあえず、次のマッドマックスでは公開初日にV8祭りが起こることを願う。

結局マッドマックスの話題になってしまったのでこの辺で区切ろうか。

皆さま、良き映画ライフを!

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