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【セルピコ】己の正義を貫いた―汚職に立ち向かう若き警官の物語

J.Stone J.Stone

刑事フランク・セルピコ氏の実話を基にした社会派映画『セルピコ』をレビューしていく。

警察というギャングに立ち向かった青年

刑事フランク・セルピコ氏の実話を基にした社会派映画。

60年代のニューヨーク市警に蔓延っていた汚職や賄賂等の腐敗態勢に真っすぐに立ち向かった刑事の物語。
いまでこそ秩序が回復したと思うが、見てる限りだと当時の警察は公認ギャングのような存在であり、
むしろギャングより質の悪い存在となっている。

事件解決などほったらかしないしは適当にこなし、
自分たちはコーヒーでも飲んでいるか、街のギャング等から集金して回っているぐらい。

主人公セルピコ自身も、「集金の時間を勤務に回せば街の秩序が復活するのに」と嘆いている。

美化しないヒーロー

この映画におけるセルピコはよくある自伝映画と比べ、美化されていない。

彼は妥協のできない自信と正義感たっぷりの新任警官として、ただ街の為に貢献したいという真っすぐな思いを持った青年だ。
その一方で、たった一人で汚職に立ち向かい反抗したことで、同僚や上司などからは毛嫌いされ、さらには命の危険まで感じるようになる。

孤立無援で被害妄想に悩まされる…。
そんな極限状態に追い詰められた彼は、その持ち前の正直さ故に、味方になろうとした人々や恋人にまで当たり散らすようになる。
そして結婚まで考えてくれていた恋人には結局逃げられてしまう。
だが、それでも自分の抱く信念には決して背かないひたむきさ。
綺麗ごとだけでなく、ヒーローを美化せず描いていることにとても共感できると同時に、非常に人間臭さを感じる。

セルピコから学ぶ妥協と抵抗

彼のような正直な人間はいつの時代も生きにくい。
世の中は妥協できないと重圧が多すぎて生きていけないのが現実だ。
だが、法やルール、人徳など…そういった部分まで妥協をすればいいかというとそうではないから難しい。

本来ならば、妥協する部分としてはいけない部分の2つをバランスよく持たねばならないのだが、
多くの人間というのはそこまで器用ではない為、片方なことが多いと思う。
また、彼のように抵抗する人というのは、どちらかというと妥協できない分類の人ではないだろうか。
無論、私も妥協できない分類の人だ。
それ故に、主人公の真剣な生き方には非常に共感を覚えたのだろう。

これは史実なので話してしまうが、結局彼は仲間に撃たれ、警察を退職してしまう。
それでも、彼の始めたこの抵抗が、後の警察体制を改善していくきっかけになっただろう。
彼がもし、妥協してしまう人間だったら、汚職を暴くような抵抗は起こりえなかっただろう。

彼は何かを変えた。それは容易なことではない。
過去にも現代にも、腐敗した体制はいくらでも存在するものだ。
現代の日本社会にも、抵抗できずに渋々従ってしまう者、抵抗する者、もしくはそれらを利用し富を得ようとする者…いくらでもいる。
だが、セルピコのように行動せねばなにかは変わらないのだろうと訴えかけてくる。
当たり前を疑って抵抗したセルピコのように、私も真っすぐ生きたいものだ。

ツタヤ

邦題・英題セルピコ
評価点数★★★★☆
監督シドニー・ルメット
ジャンル社会派ドラマ
公開年数1973年
上映時間130分

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コメント/情報提供
  1. 一匹狼 より:

    長年待って、漸くまともなセルピコ論に出会いました。
    主人公の生き方は「普通と呼ばれる人」は、やっちゃいけない。
    間違いなく「死にます」。

    20代の学生の時、この映画をTVで見ました。
    以来そのワンシーンが目に焼き付いてます。
    と言っても、アルパチーノが彼女と中華のテイクアウトを食べながら、喧嘩しているシーンなんですが・・・
    今ではyoutubeでも見られます。

    見終わって何度も自問自答しました
    「俺が同じ立場に立ったら、主人公のように出来るだろうか」
    「やらないのは卑怯だ。やっぱり俺には(やらずにいるのは)無理だ」

    その約10年後の33歳、公務員として己の全人生と首と命を懸け、
    腐敗した組織に対し「王様は裸だ」と叫びました。
    そこ迄決心するのに半年かかりましたが、
    職場に遊びに来ているとしか思えない連中との会議で「宣戦布告」の火蓋を切りました。

    後で気が付いたのですが、これはたった一人が起こした「単独クーデター」なのです。
    勿論、私利私欲の無い「単独クーデター」です。

    背水の陣の中、命懸けの「火事場の馬鹿力」は想定を超えました。
    全方位から向かって来る「怒りと怨念の集中砲火の反論」に、全て論理的に反駁し、会議を終えました。
    事前に連中の反論は想定出来ましたので、想定を超える反論は一つも在りませんでした。
    余りにも見事な程、全てがこちらの台本通りと言いますか、想定通りでした。
    あの「憎しみと物凄い殺気に満ちた異常なエネルギー空間」は、今も鮮やかに蘇ります。
    自分には関係無いと思っている3割程の連中が、固唾を飲んで見守っているのは気配から分かりました。
    そうした連中は、敢えて甘い汁を吸おうとはしませんが、見て見ぬ振りをするしかないのです。
    肉食獣に睨まれた草食獣が仲間を見捨てたとしても、それは已むを得ない事なのです。

    甘い汁を吸う連中は、最早「外道」であり、論外ですが、
    私にとって「見て見ぬ振りをする」など「己の全否定」でしかなく、
    公務員としての職責上も「不作為」でしかない、というのが今尚変わらない私の持論です。

    当然、誰一人私を支持する者など居るはずもなく、勿論その覚悟でやった訳ですから。
    その後、組合を辞める事、職員との飲み会にも一斉参加しない旨を伝え、
    覚悟の上とは言え、針の筵の中で生きる事になります。

    戦わずして逃げる(仕事を辞める)のは卑怯だと。
    ならば戦おうと。
    けれど、負けは死を意味しました。
    だから負ける訳にはいかなかった。
    それでも、負けた時は潔く「切腹」する覚悟は既にできていました。
    白装束と短刀を手に入れさえすればよいのです。

    今からもう数十年も前のお話です。

    つづく

    当時、「ミシシッピー・バーニング」と「ロレンツォのオイル」を見て
    随分勇気を貰ったのを覚えています。
    特に「ロレンツォのオイル」は「火垂るの墓」と同じ位「トラウマ」になりました。

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