スターウォーズEP9は退屈なご都合主義映画~辛口感想・レビュー

J.Stone J.Stone

最新作「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開されました。完結編に当たるEP9は確かに大失敗はしませんでしたが退屈な映画になってしまいました。そんな感想を抱いたので、今回はネタバレありきでレビューをしていきたいと思います。

スカイウォーカーの夜明け感想

スターウォーズ・エピソード9「スカイウォーカーの夜明け」を早速観てきたのでレビューをしたいと思います。
スターウォーズEP9は続三部作と言われ、原作者J.ルーカスから離れてディズニーが手掛けた作品となります。
それ故に、古参のルーカスファンからは酷評の嵐というトンデモ作品で、ターミネーターの続編が出るたびにこき下ろされる現象と同じになっています。

前回EP8の感想を書いた際、まあ荒れに荒れたのが2年前。
そりゃ当然ですよ、世間で酷評のEP8を「面白い!」と書いたのですから。
「ファンじゃねぇだろ!」だの、「お前は狂ってる!」だの、挙句の果てには「くたばれ!」だの「死んじまえ!」だの…色々なお言葉頂きありがとうございます。
なぜEP8を面白いと言ったのかは、続三部作の総評を記事にするのでそちらをご覧いただければと思いますが、まずは今回EP9の感想を書いていこうかと思います。

尚、ネタバレを含みますのでご視聴前には見ないようにしてください。

EP7で続三部作に諦めたついていた私は、前作EP8は開き直ってみて楽しみましたが、正直最初からオワコンモード。
まるで葬式を上げに行くかのように、全身黒服で映画館に行き、どうにでもなれという気分で見ていました。

結論から言うと、悪くないです。
但しうまくまとめたね…というのが素直な感想で、決して拍手したくなるものではありません。
そして、面白いか面白くないかというと……別に大したことないというのが素直な感想。
点数的には「40点」ぐらいで、ファミレスのハンバーグを食べているような…映画としての存在感としては相当影が薄い作品です。
ただ、前作が荒れに荒れただけあって、本作でホッとした方も多いでしょう。

では、なぜそう結論に至ったのか。

①ディズニー独特のご都合展開がクサい

天下のディズニーと言えば、子供やファミリー層を如何に楽しませるかに特化した映画ブランド。
風味としては大味であり、ポップミュージックの様な当たり障りのない感じです。
ディズニー映画は外さないけど棘もなければ臭みもないのが、外から見た素直な意見です。

そもそも私はディズニー映画のファンでもなければ、むしろディズニー映画は好きではありません。Pixer映画には感動を覚えたことは合っても、ディズニー映画に感動したことは生まれてこの方正直言ってありません
(最も、幼少期から洋画やヤクザ映画を見まくってる奴です。こんな捻くれたガキがディズニーで感動するはずがありません。)
逆に言えば、ディズニーの大味な映画が好きな人、大衆向けのポップミュージックが好きな方には普通に楽しめると思います。
映画で新体験や、抉るような感動を味わいたい人にはEP9は向いていないとおもいます。

別にご都合主義が悪いとは言いません。ただ、良いご都合と悪いご都合があると思っています。
本作のご都合は”悪い方”なので、鼻に付くことが多々ありました。(続三部作全般に言えるが)
例えばC-3POの記憶復活シーン。R2がメモリ保存してないかも…みたいな流れあったのにあっさり無視!元通り!SW本来の展開ならポンコツすぎるせいでR2からメモリ取り出せなくて、もうだめかと思わせといて最後に戻るとか、R2ぶっ壊れて戻せなくなったと思わせといてR2修理完了して3PO戻るとか、R2がひたすら回路直そうと頑張るとか……色々手法はあったでしょうに。番狂わせでコメディリリーフな2人組の立場が弱くなっていたなぁとも思いました。周りに不安や混乱をまき散らしてるくせに本人たちにはその気が全くないのが愛らしい…というキャラクターだったはずなのに。R2と3POに留まらず、こういう展開が多すぎました。
他にも霊体化したルークが現実世界に簡単に介入出来たり、その割にオビワンやヨーダはなんもしなかったり。というかルークって根性凄いけどそんなフォース強かったっけ?
皇帝がビームだして、ライトセイバークロスして受け止めて跳ね返すのも笑いどころ。かのマスター・ウィンドゥは単身で皇帝とやりあったというのに、次世代ジェダイ弱すぎる。
そしてラストのキスシーンは最高に笑えました。からの主人公蘇生。いや…なんじゃそれと。白雪姫かと。
こういう細かいシーンがいくつもあり、ディズニー臭のプンプンする悪いご都合主義を感じてしまいました。

そしてご都合主義は下記のような不満を抱かせるに至りました。

②まるで魔法の世界

EP9ではフォースが万能すぎます。
これは続三部作や、最近のSW派生作品にも言えることですが、フォースがあまりにもファンタジックになり過ぎたために剣と魔法のご都合RPGのようなノリになってしまっている点です。
前作でもアホか…と思うような使い方が多かったですが、そもそもフォースとは仏教でいう”気”であり、強さの芯にあるのは人間自身…いわば”心技体”がそろって初めて成立するというブルース・リーの教えである”ジークンドー”に近い思想であったはずでした。
しかし、派生作品やゲーム作品が生まれた中で、いつしかフォースがステータスとなってしまい、ただの力でしかなくなってしまいました。例えば時代劇の剣豪は、剣の腕を磨きはするが力を欲したり誇示したりする為に鍛錬しているのではなく、己の精神を鍛えて自分を律する為に鍛錬をしている…という東洋思想が根底にあります。(というかルーカスが時代劇から着想を経て作った映画なので、SWの根底にあるのはアジア的な思想や仏教と武士道である。)
しかし、この描き方が旧作と変わってしまった為、力の象徴に変わってしまい、まるでフォースが能であるかのように映るようになってしまった。これが非常に良くなかったと思います。

ちなみに、傷を回復させるシーンには理由があるのでアリなのですが、万能すぎたのはよくありませんでした。
フォースで相手を癒す力は元々ダース・プレイガス(前シス皇帝)が研究していた不死の研究からくるもので、師を殺して力を奪うことで皇帝シディアスが手に入れたというバックグラウンドがあります。したがって、皇帝の血族であるレイが使いこなすのには問題ないのですが、カイロ・レンが使いこなすのには都合が合わないので、結果ご都合主義となってしまいます。これらのSWの設定や背景を知っていると余計におかしいと思えてしまう表現が多すぎたため、魔法の世界にしか見えなくなってしまったわけです。あと、回復するにしてもRPGの魔法並みに傷がふさがるのは流石に万能すぎてしまうので世界観的に禁忌であると思います。反動のない強大な力はあの世界には合わないでしょう。
あと、いくら皇帝といえど、フォースを吸い取って復活するのはどうかと。ドラクエじゃないんだからさ…。
空にフォースライトニング放って、全部隊攻撃したのも笑いどころ。共和国時代の全盛期のパルパティーンなら惑星動かせるんじゃね。RPGじゃないんだからさ…。
フォースで乗り越えられない課題を自身の肉体、己の精神で解決するというのがスターウォーズの軸だったと思うのですが、それはいつから無くなってしまったのでしょうか。

③やっぱ設定が弱い

EP7の時から思っていましたが、やはりキャラクターと舞台設定の弱さが足を引っ張っていたかと思います。
主人公のレイに関して言えば、最初は裏に何かある謎の少女でしたが、EP8ではやっぱ普通の少女。しかしEP9ではやっぱりすげー血筋だった…というプロット書いてんのかレベルの安っぽい漫画の様な展開。
週刊連載のつじつま合わせならまだわかるが、これは2年に1本。…どうやったらそうなるんだ。
ポー・ダメロンにしても、フィンにしてもローズにしてもやはり設定が弱い。弱すぎる!
剣の持ち方や渡し方にしても旧作に比べ知識が浅い!武士道・騎士道精神を製作者サイドが理解していないから描写が雑。(例えば、刃部分を相手に向けて渡すのは東洋的に恥な行いである。旧作は東洋思想にかなり忠実であった。)
結果的に入り込めない表面的な作品に仕上がってしまったのが非常にもったいない。

逆に言えば旧作のキャラが濃すぎる。
例えばハン・ソロ船長とチューバッカの絆にも壮大なバックグラウンドが用意されている。チューバッカは元々共和国側の惑星で戦っていた戦士だったが、それ故に帝国軍に捕らわれてしまう。一方その頃ソロ船長は帝国アカデミーという帝国軍の士官学校に入っていた。そう、いずれは出世して艦長になったりTIEファイター部隊を率いるような人だったわけだ。しかし、拷問されそうなチューバッカを士官候補生のソロが助けてしまい、そのまま脱走してしまう。結果としてソロ船長らは密輸業者に成り下がるわけだが、チューバッカはソロ船長を恩人として忠誠を誓い、彼の行くところに文句も言わずついていくようになるわけだ。ある意味騎士の誓いを立てた従者でもある。
……こういう背景を見ながら見ると、チューバッカの1つ1つの行動に全て理由があるのが分かる。この背景を持って演じているからこそ、旧作には異様な没入感があったのだ。
新三部作でいえば、グリーヴァス将軍が何故ロボットになってしまったか、メイス・ウィンドゥはダークサイドに片足突っ込んだような攻撃的な戦い方をするのか…という全てに理由がある。

ちなみに、この裏設定は主役クラスだけでなく脇役、果ては戦闘機や登場組織(兵器会社まで)全てに徹底されており、なんとサンドピープル1人1人にも名前とバックグラウンドがある。この深みの生み出した世界が説得力がないわけがない。

逆に問いたい。続三部作のキャラクターにこれらの膨大なバックグラウンドがあったかどうか。…恐らくないだろう。
各エピソード毎に性格や設定がゴロゴロ変わり、筋もなく、その場しのぎで演技をしているように感じてしまうから、膨大な裏設定が用意されていないことは明確だ。
ジョージ・ルーカスのオタク気質が生み出した世界観を、大味しか作れないディズニーにはくみ取れなかったのだろう。

※ちなみに膨大なバックグラウンドに興味がある方は、「スターウォーズの鉄人」や「Wookieepedia」をご覧ください。私は相当お世話になりました。

④結局ラスボスはいつもの皇帝

あまりにもプロットや設定が弱すぎる故に、結局おさだまりの皇帝がラスボス。これによって今までディズニー路線でぶち壊してきたEP7,8の行動が全て無駄に。
しかも、皇帝を復活させたことでルークとアナキン、父子2人で倒した行いすらも無駄に。つまるところEP6否定路線に。綺麗に終わらせたEP6が台無しになりました。本当にありがとうございます。
嘗ての若者たちの死闘を無駄にしてしまったディズニーの大罪はやはり大きい。
あと、パルパティーンの息子がいきなり出てきてこれまた謎。伏線何もなし!元老院議員時代の息子なんだろうけど、そこ適当すぎでしょう…。

そして最後はスカイウォーカーを名乗るレイ。正直意味が分かりません。いつ養子になったん!?もしかしてラストのあの瞬間に結婚した!?どちらにしても唐突過ぎました。
むしろそこはパルパティーンの血を否定せず生きてこそ、トラウマに打ち勝って強くなった証拠なんじゃないのか…と心で突っ込んでしまった場面です。正直スターウォーズ的にカッコよくない生き様だと思いました。
それとも、この描写は真実や己から逃げ続ける現代人を皮肉っているのですかね?

ちなみにラストシーンで黄色のライトセイバーになっていたのは、「ライトサイドの青・ダークサイドの赤が混ざり、中立の黄色になった」って事らしいです。ですがライトセイバーの色って使うクリスタルによって変化するはずです。もしかしてディズニー版では設定変わってる?ダメだろ変えちゃ……。

⑤監督が嫌い

EP7の時も言ったと思いますが、私はJ.J.エイブラムスが嫌いです。
JJは確かにまとめる手腕はあり、大衆の売れる商品を作ることに関しては一流だと思います。但し、映画監督という作家・アーティストとしては面白みが全くなく、器用貧乏な方という印象。資本家を納得させるのが上手い監督というか…いわばお利巧な作風なのです。その中でも特徴を上げるとすれば、根明に見せているが根暗な描写、主婦に受けそうな昼ドラ・ホームドラマチックな配置と展開、オマージュをコラージュして安全圏で常に作り続ける手法など。事実、JJ作品はどれも当たり障りのない特徴の薄い、冷めたインスタントスープを飲んでいるような感覚になることが多く、本作も完結編にふさわしいであろう…という映画作りにしかなっていません。なのでそもそも続三部作が始まって監督が決まったときに既に覚悟していたことです。
よってEP9でもJJ特有の潔癖なお利巧っぷりがやはり受け入れられずに終わりました。

⑥映像の良さは評価基準にならない

映像はきれいだよね…という今更な感想はありません。
今の映画はキレイで当たり前。むしろ映画とゲームが大差ない時代なんだから21世紀の映画でグラフィックは評価基準に入りません。

⑦アダム・ドライバーが良い!

三部作通してですが、カイロ・レンを演じたアダム・ドライバーが非常に良い。彼の演技力で映画3作が持ったといっても過言ではありません、良い役者です。
そもそもアダム・ドライバーは抜擢された時点で既に演技力の高い俳優として評価されており、この映画がヒットしようがコケようが、最悪降板しようが、数年後には世界的に評価される俳優になっていることが間違いなかった俳優。なのでそんな彼の演技力は見どころではないでしょうか。何より表情が良い。あの薄っぺらなプロットを自分なりに広げようとしているのが分かる、良い演技だったと思います。ちなみに彼は役作りの為にルーカス作品に多大な影響を与えた黒澤明作品を見直して研究しているなど、制作サイドで最もルーカスの作風に忠実であろうとしていたそうで、その姿勢には感服しました。

逆に言えば、それ以外にスター性のある若手俳優がいなかったというのが続三部作がイマイチな理由かもしれません。
オスカー・アイザックも頑張ってはいましたが、この方も既に評価された俳優でしたので、若手の枠ではありません。
ほぼ無名だが異様な存在感を出したハリソン・フォードに匹敵する俳優を見つけられなかったのは大きなマイナスです。

ただ、EP9は前作に比べてポリコレが抑えめだったのがよかったです。
ルークの戦友、ウェッジ・アンティリーズが登場したのは「お!」となりました。流石元エースパイロット、腕は鈍ってませんでしたね。

EP9 悪くないよ、面白くもないけど

以上の結果から、悪くないけど面白みないよね…という結論に至りました。
この評価の裏には、当然私が大味映画やディズニー映画、監督が嫌いという背景もあると思いますが、スターウォーズの異様に作り込まれた世界観を広げるには制作側の熱量と研究が足りなかったなと思います。
ジョージ・ルーカスとは作家性の非常に強い監督であり、自分自身の人生と映画を常にリンクさせてきた監督です。特にスターウォーズは若さが生み出すハングリー精神の塊のような作品。そんな作家性の魂を受け継ぐには相当の勇気がいると思います。肥えてハングリーさを失った資本中心のディズニーにはまず出来ない芸当であると言わざるを得ません。かといって、人生を謳歌したルーカス自身にも、もう作れる作品ではありません。スターウォーズはEP1~EP6と、クローンウォーズで充分です。EP7以降はなかったんや…。(ターミネーター2以降はなかったんや…と同じ扱い)

シリーズ物にはお約束がありますが、作り手にもお約束があります。それは絶対的なヒーローは永遠にヒーローであるという事。
ガンダムでいうアムロとシャア、マクロスでいう一条やマクシミリアン。これらヒーローを否定する物語は時間軸延長線上にある場合には否定してはいけません。それ故にガンダムのUCシリーズではアムロとシャアがヒーロー像の絶対基軸。それを逸脱する作品は世界観が全く別の物語にすることで、ヒーローの否定を回避しています。マクロスは時代と銀河を変えることでこれを回避。
スターウォーズ続三部作は、全く別の銀河系にしたり、数千年後を書いたりと言った完全な独立作品とすべきだったと思います。故に派生作品は大抵そうなっているか、絶対的なヒーロー像を崩さず物語を作り上げている。ルーク、ハン・ソロ、並びに反乱軍メンバーという絶対的なヒーローは簡単に触れるべきではなかったのではないでしょうか。

さて、これら続三部作の総評は長くなるので、別記事で語っていこうかと思います。
よろしければそちらもお付き合いください。

ただ、EP8がヘイトを吸収しまくっただけあって、本作はその点で安心して楽しめるのではと思います。
映画好きやSWファンには退屈だけど、普通のアクション映画としては楽しめるので、決して悪い物ではありません。
また、本作を引き立てる為に、あえてEP8でぶち壊しにしたのであれば、中々の策士だと思いますが……まあないでしょう。
適当に楽しむポップコーンムービーとして、ご覧になってはいかがでしょうか。

EP9こんな方にオススメ!

  • ディズニー映画が好きだ!
  • 癖のないプレーンチーズのような風味が好きだ
  • 派手なら何でも良い!
  • 脳死で楽しみたい!
  • アダム・ドライバーのファンだ!

ちなみに、続三部作が納得いかなかった方には、EP3とEP4の中間を描いたゲーム「Star Wars: The Force Unleashed」、4000年前のシス大戦を描いたゲーム「Star Wars The Old Republic」、アニメ「クローンウォーズ」、非正史となった「レジェンズシリーズ」などの派生作品もチェックしてみてはいかがでしょうか。

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参考価格:¥2,820(執筆時調べ)

続三部作の総評も書きました。よろしければこちらからどうぞ!


出典:Star Wars/Lucasfilm

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