懐かしすぎるゲームボーイあるある まとめ

J.Stone J.Stone

90年代の子供たちを虜にしたゲームボーイ。今回はそんなゲームボーイのあるあるをご紹介。カセットフーフー、通信ケーブル、電池カバーなど…他多数。

子供の相棒、ゲームボーイ


出典:nintendo.co.jp

ゲームボーイソフト「ポケットモンスター 金/銀」の発売から今年で20年だそうです。
ポケモン金銀は恐らくポケモンを日本中に大普及させた名作ソフトであります。
当時としては珍しい、前後編に分かれた2つのワールドを遊べるという特大ボリュームで、丁度良いモンスターの量とミニゲームの数々など、自由度の高さも相まって大人気となりました。

そう思い返しているうちに思ったのですが……ゲームボーイは今や化石レベルのゲーム機である事を実感。
私が子供の頃にインベーダーやファミコンが古臭いと思っていたあの感覚で、今の方々は見ているのでしょうね。

というわけで、今回は懐かしいゲームボーイあるあるを語っていきます。

ゲームボーイとは


wikipedia.org

その前に、まず「ゲームボーイ」について簡単に説明しておきましょう。
ゲームボーイとは1989年に任天堂から発売された携帯ゲーム機。
カセットを入れ替えることで遊ぶゲームを変えられ、鞄に入るサイズで尚且つ専用ケーブルを通じて通信対戦が出来るという画期的なハード。
今では考えられない電池式であり、単三電池で稼働。
初期型はグレーの本体に緑っぽい画面でしたが、後に軽量版で画面がモノクロになった1996年のゲームボーイポケット、1998年のゲームボーイライトが登場。
更に1998年にはゲームボーイカラーという色付きバージョンが登場し、カラー専用ソフトが出始める。
何故かカラー版には赤外線通信装置がついていた。この機能を生かしたタイトルはあまりなかった気がする。
その後2001年に、後継機ゲームボーイアドバンスに携帯機の座を譲り、主力機から降りることになったのだった。

ゲームボーイ時代のあるあるまとめ

さて、そんなゲームボーイあるあるいってみましょう。

カセットふーふー

カセット式ゲームのあるある代表格。
端子部分にホコリが溜まると接触不良を起こしてしまい、ゲームが動かなくなった。
そこで、端子に息を吹きかけてホコリを飛ばしてから差し込むというのが当たり前の動作だった。
稀にクリーナーとかいう生意気な道具を使っている奴もいた。
更に強者は、端子を舐めて拭き取る。濡れて接触が良くなるとかよくわからない理屈を並べ立てていた。
ちなみに、そいつには絶対にカセットを貸さないという暗黙のルールが出来上がる。

電池カバーが無くなる

主な購入層が子供だけあって、持ち運んでいる最中や、外でワイワイ遊んでいる最中に電池のカバーを紛失するケースが相次いだ。
わんぱく坊主ほど電池カバーをなくしてしまい、大抵の人はガムテープで固定していた。
何故か砂だらけの奴とかもいた。(何をしたらそうなるんだ…。)
インドア野郎や女の子はキレイに使っていた印象。
後に、ゲームショップで蓋だけ売られ始めるが、100円払うぐらいなら駄菓子を買うというやつの方が多かった。

通信ケーブル持ってるやつが勇者

今みたいにオンライン対戦やワイヤレス対戦なんて出来ない時代。
所謂マルチプレイをするには通信ケーブルで、お互いのハードを接続しないといけなかった。
その通信ケーブルが別売りであり、2000~3000円ぐらいするので、ソフトを遊びたいがために買わない奴が多かった。
なので通信ケーブルを持って現れる奴は英雄として称えられ、駄菓子をもらえたりした。
特に初期の方がポケモンガチ勢あたりがケーブル勇者だった。
後期になると、クリスマスの時にセットでもらえるようにお願いするので、大抵の奴が持つようになっていた。
ちなみに、後継機ゲームボーイアドバンスでは、4人対戦可能な通信ケーブルのマルチタップがあったのだが、それを持ってるやつが英雄になっていた。
今の世代では何を持っていたら英雄になれるのだろうか――。

攻略本持ってるやつは情報屋

カセット代を攻略本に当ててるやつは情報通になるに決まっている。
普通は買わない。カセットか駄菓子を買うからだ。
だが、攻略本があれば確実な裏技や小技、効率的なプレイが可能となる。
それを知り合いに流して、徳を得る。それが子供社会のビジネスだった。

しかし、大抵は親がゲーム好きで攻略本バンバン手に入るやつが、情報産業を牛耳っていた。
私はどうだったかって?
もちろん攻略本に時間と金を注ぎまくっていた。
ゲームがほとんど出来ない環境だったので、本を見ている時間の方が長かったぐらいだ。
但し、ゲームプレイという実践検証が中々できないので、情報屋にはなれなかった。
ある意味、この悔しさがモシナラの原点であったのかもしれない。

出所不明のバグ技が噂で広まる

今みたいにパソコンで攻略情報など簡単に調べられない時代。
当時は攻略本か、マニアックな裏技雑誌みたいなやつしかなかった。
そんな中で、意味の分からない出所不明のバグ技が噂で拡散。子供たちが裏技を試行錯誤していた。
その代表格はやはりポケモン。
“預かり所でセーブ中にスイッチを切ってポケモンをコピー”するのは誰もがやったはずだが、大抵の噂情報は冗談なのか本当なのか分からないものが多かった。
カセットを半抜きにするのはまだしも、カセットを叩きつける、プレイ中に抜く、振り回す、フリスビーみたいに投げる、端子を舐める、水につける、こたつで温める、擦る……など、恐らく適当にホラを吹いたやつの情報が出回ったのだろう。
しかし、みんなで集まり、必死に裏技を起こそうとして一日が終わり、最悪データが消えるというのは良くあった。
今も攻略や裏技は情報が錯綜することが多いが、昔の方がよっぽど酷かったかもしれない。

ソフト代より電池代の方が高い

ゲームをするには乾電池が必要だった時代。
充電などできもしないし、充電式電池が出るころにはバッテリー式ゲーム機が出始める時期だった。
よって、ゲームの為に電池を買わなければならない。
親から貰える奴は良いが、自腹の奴はカセットを買う金が電池に消えた。
アルカリ電池の4本入りを200円で買ったとしたら、毎日プレイしている人はごっそり金が消えた。
ちなみに、中古ソフト屋はもうちょい後に出てくるので、大抵は新品で買う時代。そりゃキツイぜ…。
100円ショップももうちょっと後だ。ダイソーが出来てからは、ダイソーの100円電池を買って救われ始めた。

電池を擦って充電

電池代がバカにならないので、電池を擦ってなるべくぎりぎりまで使おうとしていた。
そのおかげでセーブ前に電源が切れて泣く羽目に。
それでも電池を擦っては復活させて、せっせとレベル上げに励んだものだ。
ゲームをするためにリアルでも頑張らなきゃいけなかった時代があったのだ。

最大音量派か無音派

ゲーム機の電池を消耗させないために無音にする奴がいた一方で、最大限に楽しむために最大音量にする奴もいた。
大抵この二極だった。
今や充電できる時代、いい時代である。
筆者は音楽=ゲームという意識だったので、常に大音量で電池代を犠牲にしていた勢。

男子は本体がクリアカラー

ゲームボーイの本体がクリアカラーな奴が大勢いた。
それは男子だ。
男子の俺TUEEEEEE!ゲームボーイはクリアな本体だった。
クリアカラーとは、中身の基盤やパーツが透けて見えるスケルトンボディで、メカメカしさが売りだった。
しかし、透明なので通常カラーよりも耐久性が弱く、わんぱく野郎は落としてボロボロにしていた。
ちなみに、筆者も当然ながらクリアカラーでした。当たり前だ!

ピンクや赤の本体は弄られる

90年代当時、暖色系カラー=女子というイメージが強かった。
何故なら青と黒は男、赤とピンクは女……という社会だったからだ。
なので、赤やピンク(マゼンタっぽい)などの色はお姉ちゃんからのおさがりのイメージが強く、男子が持っていると揶揄われた。
稀に戦隊モノ好きで赤カラーの奴もいたが、そういうやつは戦隊のシールを貼っていたので揶揄われることはなかった。(ゾイドとか好きな奴もシール貼ってた)
逆に、女子がクリアカラーだと、生意気だとかいって弄られた。
クリアカラーは男子の勲章だった時代である。
今は恐らくそういう偏見がないので、今の子たちは本体の色でケチを付けられることも少ないのではないだろうか。
好きな色を堂々と使える、いい時代になったものだ。

ゲームボーイを持っていないと友達になれない

ゲームボーイは子供の交流アイテムだった。
なのでゲームボーイを持っていないと友達の輪に入れなかった。
特に、ゲームボーイとポケモンはセットで、これがないと仲間外れが暗黙のルールであった。
筆者はゲームが出来る環境になく、比較的遅めに手に入れたのでかなりの遅れをとった。
私はポケモンデビューも遅く、そもそもアニメも見たことがないので話にはついていけなかった。(この頃から映画好きだった為)
ゲームは悪という時代だったが、間違いなく最強のコミュニケーションツールだったのは言うまでもない。
今ではスマホやNintendo Switchがその役目を担っているのではないだろうか。
ちなみに、筆者は上記の影響があったのか、大人になってからゲーマーになってしまった。洋ゲーたのしい(*’▽’)

寝ながらプレイは懐中電灯が必須

ゲーム機にバックライトなどない時代。
夜中に忍んでプレイするなら懐中電灯で画面を照らすしかなかった。
なので大抵の奴が親にばれて叱られていた。
ゲーム禁止令を下されてしょぼくれながら登校してくる姿を忘れない。
懐中電灯も吊るしたり、置いたりと色々方法があった。

学校にゲーム機持ってくる奴

今ならスマホが当たり前なのでゲームぐらい学校ですると思うが、昔はなかった。
データ転送もできないし、オンラインもない。
なのでカセットの交換や、こっそりポケモン交換は学校にゲームを持ち込んでやったものだ。
クラスのチクリ魔にみつかると先生が飛んできて取り上げられるのがテンプレ。
中には修学旅行にまで持ってくる奴も。
大抵はポケモンか遊戯王だったのを覚えている。
最も、夢中で何かをやれるのは良いことだ。

まとめ

こんな感じだろうか。
まだまだあるだろうが、一旦この辺にしておこう。
こういった話題はある程度地域性もあると思うが、筆者の周りでは大抵こんな感じだった。
90年代のゲーム事情というのは大体どこも似たようなものだったとは思うが。

ゲームボーイを遊ぶこと=ポケモンをする…に等しかった時代。
20周年とは中々感慨深いところがあります。

他にも、こんなあるあるがあった!というのがあればコメントしてほしいです。
以上、ゲームボーイあるあるでした。

あと、お子さんがいらっしゃる方。
仲間外れにならないようにスイッチを買ってあげましょう!
でないとこんなインドアな大人になっちゃうぞ!

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詳細情報

参考価格:¥32,978(執筆時調べ)

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