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ハリウッド映画における差別意識、多人種表現は本当に正義なのか?

J.Stone J.Stone

ハリウッド映画は近年やたらと多種多様を唱えるが、結局はアメリカ人の白人の主観でしかないように感じる。
果たしてそれは本当に多様性なのか?非差別的配慮なのか?今回は日ごろ映画を鑑賞していて妙に気になった事を語っていこうと思う。

ハリウッド映画における差別意識、多人種表現は本当に正義なのか?

映画における多人種表現は今に始まったことではないが、近年の映画は非常に人種に配慮した作りになってきているのは否めない。
元々、設定上で多人種表現が必要な映画は問題ないのだが、無理やり出しました感が出ているのも観ていて多く感じる。
要は露骨すぎるのだ。
映画産業は様々な資本…様々な国の企業や人々が関わって出来るものである。
ハリウッド映画のスタイルとして、世界的な作品を作ることは恐らく大前提であり、それは様々な国に配慮した作りになるのはわかる。
一方で、ワールドワイドなハリウッド映画と言えど、アメリカ人向けをまず意識しているも理解できる。
しかし、果たしてそれは本当に”正義”なのか?人種に配慮していると言えるのか?
残念ながら、私はそうは思わない。

そもそもアメリカという国は、多人種国家であり、その為に今尚人種間の差別やトラブルは根強い。
だが、結局のところアメリカという国は、どうあがいても白人の国である。
内から見ている視点では、確かに多民族国家なのかもしれないが、外から見ている限り…そして、人種統計を見る限りやはり白人の国である。
その為、白人人種が批判を避けるためにやっているように感じてならない。
つまり保身である。
そう感じるのは、私がアメリカの外に住む非白人…アジア人、日本人であるからだろう。

アジア人から見た、露骨な人種配慮への違和感

我々アジア人は有色人種である。
その有色人種としては、そういった配慮が気を使われているようでむしろ気持ち悪く感じるし、保身のために使われる多人種表現こそがむしろ差別的に感じる。
アメリカに暮らし、差別を肌で感じている層にはまた違った視点なのかもしれないが、少なくとも白人圏から離れ、アジア地域で暮らす我々日本人としては、ムリに意識しすぎて逆に不愉快としか思えない。

むしろ、白人の作る映画なら別に白人ばっかりで良いとすら思っているし、ヒスパニックしか出てこない、黒人しか出てこない…でも問題ないと思っている。
ムリに気を使われるよりよっぽど非差別的ではないだろうか。

特に、最近公開された某SF映画では、アジア人俳優を全面に扱った物語展開が多かったが、多くのレビューや感想で、このアジア人を無理やり出した感に違和感を唱えている人も多い。
これに関しては私も同意見である。
確かにちょっと…いや、かなり無理やりな感じがしてならなかった。
※最もこれは、市場が中華圏に移っている事を示す指数でもあるのだが…。

ほんの少し前までは、先住民やアジア人を平気で殺すような映画が普通に合ったのにも関わらずだ。
「なんか言われるから配慮しましたよー」感満載のアフリカ系キャラクターやラテン系キャラクター、文化も細かな区別もわからないのに、とってつけたようなアジア人や、アジア観。
これらこそがむしろ逆に差別的であるし、妙に腹が立つ。
こういった”配慮”に対して異議や疑問を唱えるアメリカ人の有色人種はいないのであろうか?
また、妙に政治的臭さを感じさせ、媚びているようにも感じ、鑑賞中に萎えてしまう事もある。

また、アカデミー賞の存在もこの多人種表現に違和感を助長させている。
そもそもアカデミー賞を取るのは結局白人映画が多いし、白人俳優、白人映画ばかりである。
最もこれに関してはホワイトウォッシュ問題という、有色人種からの苦言があるわけだが……。
主体がアメリカである為しょうがないと思う部分も多い一方で、業界的には白人押しなのに多人種をやたら唱えるスタンスにも違和感が湧いてしまう。
かといって今更になって無理に多人種部門作れとも思わない。

人種間の理解はありえるのか?

そもそも他の人種など結局は理解されないと思っている。
ならばムリにやる必要などないし、その方がよっぽど配慮していると思う。
どうせ白人主体のアメリカ、そのアメリカの映画産業なんだから白人ばっかりで良い。
というよりも、無理に配慮してくれなくても良い。
それに怒りも何もないのである。

アジア人が見たければ、アジア的要素のあるものが見たければ、アジア人の作った映画…それこそ邦画や香港映画、インド映画があるし、
黒人の作った映画だって…アフリカ映画もそうである。ラテン系ばかりの映画だってある。
過度な人種意識こそがむしろ差別的であるとそろそろハリウッド映画界も認識してほしいものである。
結局のところ結論としては…

リスペクトのない取っつけの人種表現は不快である。

妙に主張してくる人種の多様性や、多人種間交流…。
これらに違和感を覚えているのは私だけであろうか?

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